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 | 2023.06.13

家づくりは諦めがあるとうまくいく

今日は、以前配信したメルマガにいただいたご感想についてです。

過激なタイトルのメルマガだったので、ここでは詳しく言いませんが、「◯◯が作る家」というタイトルでした。それに対していただいた感想です。


いつもメルマガ&YouTube等で勉強させていただいております。今月引き渡しを控えているのですが、今回の内容は色々と共感できるものがありました。

諦めの精神、とても分かります。おそらくほとんどの方がやりたいこと全てやろうとすると予算オーバーになると思います。私もよく夫婦喧嘩しました。。その都度優先順位を立てて修正してきました。

私も性能面をはじめ、ありとあらゆる情報を蓄えてきた方だと思いますが、家づくり終盤を迎えて一つわかったことは、不思議なことに情報を入れれば入れるほど、100%完璧な家など存在しないということに気づかされています。

もし仮に、当初自分がやりたいこと全てを詰め込んだ家(例えば、G3並の性能、AIl自然素材系の仕上げ、最高グレードの設備、インスタグラマーのような内装)にしていたら、なんというか、とても歪な家になっていたなと思う時があります。

色々と諦めてきたものがあるからこそ、最後まで残ったこだわり仕様に愛着が湧いたりするものなのかなと。家づくりはやっぱり軸を持つことが大事だなと。。とは言え、最終的に少し予算オーバーしてしまいそうですが笑。まだまだ欲望の方が多かったようです。

ものすごくいい文章ですね。小説を読んでいるような気持ちになりました。

このメルマガの中で言いたかったことは、まさにこの方があらゆる情報を自分でつかんでいった中で「最終的にこういうものだとわかった」とおっしゃっていることと同じなんです。

このメルマガを読んでない方もいると思いますし、ずいぶん前に配信したので内容を振り返っておきます。住宅業界の中でちょっとした褒め言葉ってあるんです。「変わったことをやっていてすごい」とか「温暖地でそこまでやるの?」みたいな。マニアックな方同士で、そうやって称賛したりするんです。

それは確かにすごいことだと思うんです。真冬の最低気温がマイナスにならない温暖地でそこまでの性能にするというのは、振り切っているというか。車で言うと「この車、5000馬力もあるんですか」「でも通勤にしか使わないんですよね」みたいなことです。

趣味として作る分には私はいいと思います。ただ私が感じるのは、「それを作らなくても
本当はいいんですよね?」ということです。「もしそういうのが好きだとしたら作ってみたら?」という提案はいいと思うけど、いかにもそれを作らないとおかしいと言うのは違うのかなと。

作ることはいいんだけど、果たして消費者の方がそこまで読み込んでその人に頼んでいるのか。「この人がそこまで言うからそうしないと失敗してしまうんだ」と思ってしまっているのだとしたら、残念だなという感じがします。予算オーバーになって自己資金を投げ叩いてまで作ることになったとしたら、それって本当に幸せなのかなと思ったりもするんです。

こういう話は、住宅業界の中でも聞こえてくることもあるんです。例えば珪藻土なんか塗るのはもったいないからもっと断熱した方がいい、みたいなことを言う方もいらっしゃるみたいだけど、そこまで断熱してもどうなのかなと。そこで建てるんだったらこの断熱性能で珪藻土を塗って雰囲気を味わうとか、においを楽しむとか、そういう楽しみ方もあってもいいと思うんです。

最終的にはどれをやってもいいんだけど、そうでなきゃいけないことのようにマーケティングで持っていったりする方も世の中にはいます。自分の都合の良いように話を持っていくのです。

これをやり過ぎてしまうと、家づくりってすごく大変だとかすごくストレスがたまるとか、とんでもなくお金がかかるとか、それをしなければストレスの不安でたまらないものになります。そういう風になると、家づくりってすごくつまらないものになるし、窮屈になります。

特に最近はエネルギーコストが上がっている問題もあって、高断熱ブーム・高気密ブームになっています。断熱等級が4だったのが5も6も7もできて、そこまで行かないとダメだぐらいの勢いになってるような感じもしたりするので、そういうのはどうかなと個人的には感じます。

家づくりって初めてのことなので、ものすごく不安を感じるじゃないですか。不安を感じれば感じるほど、情報を蓄えることによって鎧をつけてバリアを張るんだと思います。ただバリアを張れば張るほど、どんどん不安になっていったり、逆に予算が高くなるのも事実です。

それが、メルマガの中で言った「諦めという境地もあるんだよ」ということに繋がります。諦めと言っても、私が言う諦めというのは「仕方ないよ、いいんだよそんなのは」ということじゃないですよ。それは諦めではありません。

私もお客さんと打ち合わせする時は、家づくりは大変だけど、大変な中でなるべく楽しいと思ってもらえるようにしたいと思っています。わざわざ1時間かけて来てくれる人もいるわけです。そういう方が「もっと打ち合わせしたかったですね」とか「打ち合わせ終わっちゃうと寂しいですね」と言ってくれるようにしたいと思うんです。そういう家づくりをした方が楽しいと思うし、そうなるとどこかで諦めの境地が生まれてきます。

あともう1つ、そのメルマガの中で紹介した文章があります。これは私がいつも本当にお世話になっている広島の巨匠が書かれたブログの文書です。

この方は本当に大先輩で、超高性能住宅から床下エアコンからあらゆることをやってきて、「最終的にわかったのはこれだ」というところを私に教えてくれる方です。「俺はこういうことができた」「でもこういう失敗もしたんだ、その時はこういうのがわかったんだよね」と。

人生において、すごい方の失敗を聞かせてもらうのは、ものすごく勉強になります。ほとんどの方って自分の成功法則しか語らないんですよね。でもそれって、聞かされてる方からするとすごいとは思うけど、勉強には全くなりません。自分で体験してみないとわからないですから。

私が言うすごい方というのは、現場主義という方です。会社が大きいとか棟数をいっぱいやって有名だとかYouTubeの登録数が多いとかでは全くありません。

社長であっても常に現場に行くこと。いろんなことを自分で見て、場合によっては自分でちょっとやらせてもらう。職人さんと、生の人間のコミュニケーションを取るということです。いくら本を読んだとしても、こういうことを何十年も蓄積してきた方には敵わないです。

それを広島の師匠は実践されていて、その方のブログを読んだ時に、本当にそうだなと思ったことがありました。さわりの部分をみなさんに紹介したいと思います。タイトルは「日射取得と日射遮蔽」です。

▼快適な暮らし応援隊「日射取得と日射遮蔽」
http://blog.livedoor.jp/berone/archives/52034016.html


冬暖かく夏涼しい家を造るには、色々な事を組み合わせることが必要になります。
最近はヒート20のG2やG3が必要とか、パッシブハウスの認定がとれるような性能にすることが必要だとか、巷で色々な情報が氾濫しているなと感じています。

無意味な性能が、さも必要であるようなネットの情報を観ることも良くあります。なんか情けない情報があふれているなと思い、わからない施主さんが、無駄な費用をかけ、不必要な性能や空調設備を取り付けて高額な建設費がかかり、その上そのような不必要な機械が壊れた時も修理や取り換えに大きな費用が必要になる事を経験している私には、建築主にそのような事を伝えているのだろうかと疑問を持っています。

今回何年もお待ちいただいた方のプランをしていますが、広島市では断熱性能を上げると、夏にエアコンが設定温度に早くなって待機運転になり除湿出来ないような現象も起きます。

又冬には日射取得と若干の蓄熱を活用すると、エアコン暖房もほとんど必要ない家にもなります。ただし天気が悪く日射が期待できない場合や、日射取得に適さない敷地ではエアコン暖房は必要です。

夏には庇などで日射遮蔽を施しながら 適度に日射取得をしてエアコン冷房の稼働率上げ、除湿と冷房を同時にすると広島市のような湿度高く温度の高い地域でもカラットした適温・適湿の生活が、一般的なルームエアコンで可能になります。

これは本当に全くその通りだと思って、私もこれをいつもやってるつもりでいます。いわゆる天然の再熱除湿という考え方です。

総合的な機械設備で暖房・冷房・空調を同時に行う設備は、住宅には向いてないと思います。要はアメニティエアコンの全館空調というやつです。大きいエアコンをつけてダクトをつけて機械室を作るものは、オフィスではいいけど住宅には向いていません。

向いていない理由もこのブログにいろいろ書かれていますが、コストの面が一番です。機械は必ず壊れます。大きい設備をつけて15年で壊れて、交換費用が250万円なんて話は普通にあるのです。

15年で壊れて交換費用250万円と言われたら、「いやちょっと250万円は…」という話になりますよね。結局どうなるかというと、壁に穴を開けて壁掛けエアコンをつけたみたいな笑えない話になります。

消費者の方は、ほとんどの方がそんなことを知らずになんとなく言われるがままにやっているということです。このブログでも言及されていますが、最近は高性能住宅を作るというところで一生懸命に勉強されてる方も、情報に翻弄されてしまっているんじゃないかと。私もそのように感じるところもあるし、世の中の情報が無料で手に入ることによって良くなったと思うことも大変だと思うこともあります。

先ほどの文章を頭の中に入れてもらって考えてみていただけると、また新しい発見があったりするかもしれませんので、参考にしてみていただければと思います。